私は物心ついた頃からファッションデザイナーになることを決めていました。
そして、夢が叶ったと同時にアパレルの現実を知ることになりました。
この業界に携われることができて幸せでしたが、今日はあえてその裏側を少しお伝えします。

私は2000年頃からアパレル業界に入りました。

18歳で服飾専門学校に通うため上京し、20歳で学校に通いつつレザー専門のアトリエに勤め始めました。
レザーのルーツを知りたくて工場へ行ってみたいと社長に志願したら「知らない方がいい。デザインできなくなる。」と言われたことを今でも覚えています。

2年後、今でいうODMの会社に勤め始めました。
全部署で15名ほどの小さな会社で、上司と取引先にプレゼンに行き、国内の生地屋や工場と毎日やり取りをして製品を納めていました。
この頃から景気は徐々に悪くなっていき、ある日突然、取引先の社長が亡くなり会社を閉じました。
時に仕事は人の命まで奪ってしまうのかと23歳の時に思い知らされました。

その後、企業ブランドのデザイナーに就任し、東京コレクションから展示会、イベント、プレス関係等、様々な経験をさせていただきました。
数年後、ファストファッションの波に押され、価格競争が激しくなっていき、コレクションはなくなり、従来の取引先との商売の形態も崩れ出しました。
国内生産から中国を中心とする海外生産にシフトし始め、生地屋や職人たちとのやり取りが商社とのやり取りに変わって行きました。
何かが確実におかしく歪んでいく感覚に襲われていました。
ある朝、靴職人の社長から私宛に一本の電話が会社にかかってきました。
「加藤さん、今度の展示会の靴、作れなくなってしまった。。。申し訳ない。MDの○○さんに代わってもらえるかな?」
その直後、社長の会社が倒産したことを知り、それを境に一切連絡が取れなくなってしまいました。
他にも様々な出来事の連続…
当時のアパレルの流れとシステムに疑問を感じつつも、28歳だった私には何一つ変えることもできず、デザインも浮かばなくなり、退社を選びました。

目的を失っていた数ヶ月は日本を離れ放浪していました。

帰国後、自問自答の末、或る目的を立て、もっとアパレル全体を知ろうと、海外ブランドを取り扱う会社に生産企画チームのチーフとして就任した後、フリーランスのデザイナーとして商社契約をし、中国や香港の工場へプロモーションサンプルの打ち合わせに毎月通いました。
そこで働く人の多くは遠方から通ったり寮生活をしている20代の女の子たち…
ますますアパレルの景気は悪くなる一方で、コスト戦争が止まらないどころか悪化の一途を辿っていました。

2009年からエシカル・ファッション(フェアトレード)のブランドを目指して、約2年の歳月をかけてブランドを立ち上げました。
国内メーカーや職人さんたちを中心に共に創り上げるシステムを試行錯誤してきましたが、6年目にして一人の限界に達し、経済やシステムの勉強を本格的に始め、より多くの方のお役に立てるよう起業を決めました。

その間に2013年4月、バングラデシュの縫製工場の事故のニュースが流れてきました。
http://matome.naver.jp/odai/2139803289549757801
何とも言えない怒りと苦しみに襲われた事件でした。

どこまでこの流れが続くのかと…

なにより変わらず何もできていない自分に一番腹が立ちました。

その事件をきっかけに、昨年ドキュメンタリー映画を作った方がいます。
アンドリュー・モーガン監督。
彼の創り出した「ザ・トゥルー・コスト〜真の代償〜」を一度は観てほしいと思います。

そしてぜひ学んでほしいと思います。
http://unitedpeople.jp/truecost/learn

バングラデシュの事故が起きた本当の原因はどこにあるのか?

生産者や経営者だけが悪いのか?

消費者ひとりひとりが真実を知り、賢い選択をしていけたら
相手のことを敬い、大切に思えたら
企業も地球も変わっていくのではないでしょうか?

私は作り手と買い手とが共に手を取り合い、地球と共存できる企業やシステムを創っていきたいです。