それは“フェアとエコ”ではなかったから

 

1999年からレザー企画会社、ODM会社、コレクションブランド、セレクトショップのオリジナルブランド、、、と大小さまざまな形態のアパレル会社を経験しました。

 

私は“原点と真実”にいつも興味がある人間で、最初勤めたレザー会社では、皮の原点である作業工程を知りたいと思い、社長に現場を見にいきたいと話したら、「やめておきなさい。デザインできなくなるわよ。」と言われた。(その時、初めてどんな人が作業しているのか知った。)

 

次のODM会社では、取引先との力関係を知ったり、国内の協力工場の人たちの高齢化が深刻な問題になっていた。そんな中、生地屋の社長が自殺した。(命を絶つほどの事って何だろうと考えた。)

 

その次のコレクションブランドでは、ファストファッションの波にのまれて、職人や工場が次々と倒産や契約が切れていった。

 

なぜ“縁の下の力持ち”である人たちが、いちばん感謝されて豊かな暮らしを送れていないのか?

 

どの会社でも不思議で仕方なかった。

 

そして毎シーズン作製するサンプルの時間と量、そして量産の数、、、セールにかけ廃棄処分するサイクル、、、その為の連日の残業と休日出勤から自律神経を病んでいく自分や同僚、、、

 

当時はフェアトレードという言葉もサスティナビリティという言葉も無く、同じ疑問や怒りを持つ人間が私の周りにはいなかった。

 

さらにファストファッション到来以降、“スピード”と“安さ”に焦点が当てられ、ファッションショーやオリジナリティが奪われ、トレンドを追ったコピー戦争は益々加速していった。

 

デザインという仕事を続けていく意味も情熱も無くなっていった。

 

『全部リセットしたい』という思いが日に日に強くなり、先が見えないまま退社を決めた。

 

日本を離れ数ヶ月放浪し帰国してからも、この先どうしたいのか分からず、引きこもり、自問自答の日々。

 

お金も底を尽き、そこから絞り出した答えは

「作り手も買い手も幸せになれる服と環境つくり」でした。

 

それがどういうものなのか?

 

当時はまだぼんやりしていましたが、幼少の頃から目指してきたデザイナーを諦めるのではなく、とにかく1から出来ることをひとりでやってみることにしました。

 

そうしてフリーランスのデザイナーとして商社と契約し働きながら、ブランドを立ち上げる準備に2年費やし、2009年にa.ladonna.が生まれました。